平和賞に関するニュース


朗読劇:永井博士の半生描く 雲南のわくわくお話し隊、平和賞発表式典で上演 /島根
毎日新聞
永井隆平和賞が今年20周年を迎えたのを記念し、雲南市内の朗読グループ「わくわくお話し隊」が12日の同賞発表式典で、永井博士の半生を描いたオリジナル朗読劇「平和は人を愛することからはじまる」を上演する。昨年に続き2度目だが、今年は永井博士を知る高齢者への ...


ノーベル平和賞、選考基準は創設者の遺志に背いている=弁護士
ロイター
[オスロ 27日 ロイター] 国際平和などに貢献した人物を称えるノーベル平和賞について、ノルウェー人弁護士のフレドリック・ヘッファメール氏は、同賞の選考委員会は近年、創設者アルフレッド・ノーベルの遺志に反して受賞者を選んでいると批判した。 ...

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沖縄平和賞、保健医療支援NPOに
MSN産経ニュース
沖縄県の仲井真弘多知事は13日、第5回沖縄平和賞を保健医療の分野で海外支援活動をしてきたNPO法人「シェア=国際保健協力市民の会」(東京都台東区、本田徹代表)に贈ると発表した。2年に1度、国際平和に貢献した団体などに贈られる賞で、10月に沖縄で授賞式と ...
沖縄平和賞にシェア 途上国で保健支援活動沖縄タイムス
「皆に健康を」対話通し支援 シェア、平和賞に決意新た沖縄タイムス
「シェア」に沖縄平和賞 保健医療で海外支援2010年8月14日琉球新報
琉球新報
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読売新聞

「核廃絶メッセージ発信」UNI 世界大会書記長、長崎市長を訪問
読売新聞
被爆地として世界に平和の大切さを発信し、鎖国期にも他国の文化を吸収した国際交流の象徴的な場所として、長崎市が選ばれた。 6日に女性の人身売買などをテーマにした女性大会が始まり、本大会では平和公園へのデモ行進を予定。オバマ米大統領らノーベル平和賞受賞者に ...

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新発田市 核廃絶へ条例案提案
朝日新聞
片山市長は2日の市議会本会議で、提案した理由を「宣言の意義を改めて確認するとともに、市民の参画と協働の下、平和行政を推進し、市民の平和意識の高揚を図る」と説明。さらに、「米国のオバマ大統領がプラハで核廃絶を提唱し、ノーベル平和賞を受賞した。 ...

平和賞に関する質問

平和賞 なぜ平和賞だけ別?

今ノーベル賞の各賞受賞者が、ノーベルの祖国であるスゥエーデン・ストックホルムで発表されている。しかし、平和賞だけはノルウェー・オスロで発表された。なぜ平和賞だけ別国なのか?

  なぜ平和賞だけ別?の詳細


平和賞 金正日のノーベル平和賞受賞

エジプトの故サダト大統領がエルサレムを訪問しノーベル平和賞を受賞した際には相手方のベギン首相も同時に受賞していますが、韓国の金大中元大統領が平壌を訪問してノーベル平和賞を受賞した際には、相手方の金正日総書記は受賞てい

  金正日のノーベル平和賞受賞の詳細


平和賞 池田大作とノーベル平和賞

以前ヤフーで「ノーベル平和賞」と検索すると関連キーワードに「池田大作」と出たんですが池田とノーベル平和賞はどう関係あるんですか?2ちゃんなんかでネタになってるのは見たことありますけど。

  池田大作とノーベル平和賞の詳細


平和賞 キッシンジャーがノーベル平和賞をもらった背景

キッシンジャーがノーベル平和賞をもらった背景が知りたいです。ニクソン側近としてアメリカンが勝つようにおそらく画策しながら、なぜキッシンジャーが平和賞をもらったのでしょうか?その核心の事情に詳しいかたがいたら教えてください。

  キッシンジャーがノーベル平和賞をもらった背景の詳細


平和賞 池田大作氏がノーベル平和賞??

10年以内に池田大作氏がノーベル平和賞を受賞すると聞いたのですがほんとうでしょうか?仮に受賞されるとしたら、どのような功績が評価されるのでしょうか?

  池田大作氏がノーベル平和賞??の詳細


平和賞関連エントリー

【ノーベル平和賞】佐藤栄作はどのツラ下げて、・・・

... 日本人としては唯一、ノーベル平和賞を受賞しています。(22日09:33) 『非核三原則』で、 「ノーベル平和賞」受賞とは、 佐藤栄作はどのツラ下げて、… 佐藤栄作は、中国が初めて実施した核実験をめぐり「(日中で)戦争になれば ...

【ノーベル平和賞】佐藤栄作はどのツラ下げて、・・・

ノーベル平和賞と核報復

... 国際的には非核三原則が認められ1974年にノーベル平和賞を受賞した日本の誇る偉大な政治家と思われた。 その佐藤元総理大臣のノーベル平和賞に傷をつけるような外務省資料が公開された。 「日本と中国との戦争になれば ...

ノーベル平和賞と核報復

ノーベル平和賞

ノーベル平和賞を貰ったのは、 佐藤栄作? 吉田栄作? もしかしたら吉田茂かもしれないけど、 吉田栄作、ぜってー違う。

ノーベル平和賞

平和賞の陰の部分

なぜこの人にノーベル平和賞がと当時多くの日本人が思った。 1974年、ノーベル平和賞に佐藤栄作氏が受賞した:第61、62、63代と8年間総理大臣を務めた。 受賞理由は『非核3原則』:核を持たず、作らず、持ち込ませず ...

平和賞の陰の部分

【U2】 U2のBONOが、ピース・サミット・アワードで平和賞〈M ...

... ピース・サミット・アワードで平和賞〈Man of Peace〉を受賞 投稿 2008/12/15 12:24 投稿者 OP編三木 U2のボノが、12月12日にパリで行われたピース・サミット・アワードで平和賞〈Man of Peace〉を受賞したことが明らかになった。 ...

【U2】 U2のBONOが、ピース・サミット・アワードで平和賞〈M ...

平和賞旅行記

シリーズめざせ国際ジャーナリスト2〜ノーベル平和賞受賞者、相次いで広島訪問(by 砂布巾さん)

平和賞
 2006年の平和賞受賞者バングラデシュ、グラミン銀行総裁ユヌス氏、そして平和の集いにベティ・ウィリアムズ女史(北アイルランドの普通の主婦だった人)、デズモンド・ツツ大主教(南アフリカでアパルトヘイトと闘った)、チベット仏教の精神的指導者ダライ・ラマ14世が相次いで訪問しました。その時の記録です。

【旅行時期】2006/10/28~2006/11/04
【エリア】広島
【テーマ】イベント・祭り・花火
【投稿者】砂布巾

シリーズめざせ国際ジャーナリスト1〜ノーベル平和賞受賞者、広島訪問2(by 砂布巾さん)

平和賞
 ゴルバチョフ元書記長が平和公園を訪問しました。2時間待ち伏せし、生ゴルバチョフに会うことが出来ました。

 現在旧ソ連国内では混沌を作り出した人物としてあまり評判は良くないようですが、それまでのソ連では考えられなかったような大胆な外交・内政政策が、冷戦終結をもたらしたのは事実です。彼の存在を目の前にした時、正に歴史そのものを見ているようで、興奮を隠し切れませんでした。

 ps 右のおじさんは決して夏目漱石ではありません。悪しからず。

【旅行時期】2000/11/~2000/11/
【エリア】県庁・平和記念公園周辺
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】砂布巾

初めての海外旅行 北欧オスロ編ー?(by 義臣さん)

平和賞
フログネル公園からバスの窓から王宮を
ノーベル平和賞のオスロ市庁舎
いよいよフョールドツアーです。

【旅行時期】2008/04/06~2008/04/06
【エリア】オスロ
【テーマ】
【投稿者】義臣

2007年ルーマニア旅行第12日目(4)シゲット・マルマッツィエイ:やっぱりここでも、野外博物館@(by まみさん)

平和賞
2007/07/19(木)第12日目:シゲット・マルマッツィエイ1日フリーデイ
【宿泊:Pension Prisacaru(ヴァド・イセイ村)】
ウクライナ正教会、カトリック教会、ルーマニア正教会、社会主義時代の被害者のメモリアル博物館、民俗博物館、野外民俗博物館

本日最後の観光メニューは、ここシゲット・マルマッツィエイでも一番楽しみにしていた野外博物館です。
ただし、今日はマラムレシュ地方で過ごす最後の日なので、ペンションに戻り、夕食をすませたあとに、また午後20時すぎから1時間ほどヴァド・イゼイ村を散歩しました。
それが、今日一日の本当の最後の観光メニューになります。
そのときに撮った写真はこちらの旅行記の後半。

関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第9日目(5)マラムレシュ地方:ヴァド・イゼイ村を散歩」
  • http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10189140/


  • シゲット・マルマッツィエイ観光は、教会めぐり、民俗博物館、社会主義時代の暗黒の歴史のメモリアル博物館と予定どおりすませました。
    情報を求めて観光案内所代わりに旅行会社に寄ってみて、結局市内地図だけ買ったり、また書店に寄ったりもしました。
    時間は14時。
    ほかにも市内には、市場やシナゴーグ、ノーベル平和賞受賞のユダヤ人作家エリ・ヴィーゼル(Elie Wisel)の生家跡の博物館など、気にかかるところはまだまだあります。
    でも、それらを回っているうちに、一番楽しみにしている野外博物館で時間が足らなくなっては困ります。
    それに今日は17時に野外博物館の入口で、現地ガイド兼ペンションのオーナーのニコラエさんに迎えにきてくれることになっています。
    ニコラエさんは時間厳守ですし、好意で迎えにきてもらうのですから、私も当然、時間厳守です。
    のんびりしていられません!

    野外博物館は、町の中心から3km離れているので、タクシーで行きました。
    観光を優先させるために昼食抜きです。
    タクシー代は6レウでした。
    (2007年7月現在、1レウ=約55円で換算)
    こういう値段が「地球の歩き方」どおりというのは、私の旅行経験の中では珍しいです。
    タクシーは冷房がよくきいた、日本のタクシーに劣らぬ新しいきれいな車両でした。ニコラエさんの車が
    冷房がきかない、かなり古い車だったのと対照的です。
    こんなところでも、シゲット・マルマッツィエイって都会なのね、と思ってしまいました。
    でも、涼むヒマもなく5分ほどで着きました。

    シゲット・マルマッツィエイの野外博物館も、バイア・マーレの野外博物館と同様、丘の斜面に開けています。
    Lonely Planetでは、バイア・マーレの野外博物館の紹介はあっさりなのに、シゲット・マルマッツィエイの野外博物館は絶賛しています。申し込めば宿泊もできるそうです。しないけど。
    なので、半日足らずでは回り切れないのではないかと心配です。
    中に入ってしばらく、ちょっとした山道を登らなければなりませんでした。
    17時に入口に戻るには、何時に見学を切り上げなければならないか逆算せねば!───と慌てて時間を測りましたが、10分くらいで集落のあるところに着きました。

    結論からいうと、14時10分に入場し、まちあわせの17時より30分前に出てきてしまいましたし、博物館でものんびり回り、途中30分ほど休んだりしたので、そんなに焦らなくても、時間は余りました。
    これが市内であれば、その余った時間でもう少し他の観光ができたでしょうが、仕方がありません。
    時間が余るか足らなくなるかなんて、行ってみないと分かりませんからね。

    野外博物館では、家屋と家屋の間の道はともかく、移築されている家の門から敷地内の建物まで草ぼうぼうのところばかりでした。人が入った形跡がほとんどみられません。
    いや、ところどころ草が倒れたり折れたりしているのが、歩いた形跡ですね。
    ほとんど獣道です。バイア・マーレの野外博物館よりも激しかったかもしれません。
    でも、バイア・マーレの野外博物館で慣れました@
    博物館見学というより、半ばピクニック感覚でした。
    こりゃあ、たしかにLonely Planetにあるように、子供たちが喜びそう。
    それは別にバイア・マーレの野外博物館でも同じだと思いますけどね。

    関連の旅行記
    「2007年ルーマニア旅行第8日目(1)バイア・マーレ:花盛りの野外民俗博物館・その1」
  • http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10185200/

  • 「2007年ルーマニア旅行第8日目(2)バイア・マーレ:マラムレシュ地方の田舎の生活を垣間みて・野外民俗博物館・その2」
  • http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10185202/


  • この日は、市内にいた昼すぎまでは、風もあって、まだ過ごしやすかったです。
    ルーマニアを襲った異常猛暑も今日は中休みか、とホッとしていたのですが、野外博物館に着いてから、風はぴたっとやんでしまいました。
    しかも、ハイライトの教会にたどりつくまで上り坂ばかり。
    途中、暑さのせいで息苦しくてたまりませんでした。30分の休憩もこのために必要でした。
    もっとも、ハイライトまでたどりついてしまえば、残りの見学にかかる時間も見当つきます。このままでは時間が余りそうだと分かったからこそ、ゆっくり休めたわけです。

    野外博物館があるあたりは、シゲット・マルマッツィエイといっても、ほとんど隣村といってよい郊外です。
    なので、再び、マラムレシュの村めぐりのときと同じような、まったりとした時の流れに、しばし身を任せることになりました。
    また、2時間半いて、入場料を払ったとき以外、出会ったのは夫婦1組と5人くらいの家族連れ1組のみ。
    バイア・マーレの野外博物館見学のときと同様、ほぼ完全に私だけの世界でした。
    でも、もう寂しさは感じません。
    むしろ、豊かな自然と古い家屋の温かさに囲まれて一人の世界に浸りながら、世俗の垢とつまらない悩みが洗い流されていくような心地よさがありました。
    ───しかしそれも、17時にはちゃんとニコラエさんが迎えに来てくれるからこその余裕。
    時間になれば元の世界に戻れるという保険をきっちり確保したうえでこそ成り立つ、一時的な逃避に過ぎませんね。

    「シゲトゥ・マルマツィエイ農村博物館
     マラムレシュ地方の旧県庁所在地にある野外博物館。マラムレシュ地方の民家を中心に収集している。この地方では木柵に装飾を施した伝統的な門構えは、現在でもよく目にすることができるが、民家は近代化のため急速に消失している。マラムレシュ地方の伝統的な住居環境を知るには必見。オンチェシュチの教会(16世紀)が移築されている。」
    (「街並みガイド5」(エクスナレッジ社)より)

    【旅行時期】2007/07/19~2007/07/19
    【エリア】その他の都市
    【テーマ】
    【投稿者】まみ

    南部アフリカの旅【7】 南部アフリカで出会った人達(by さすらいおじさんさん)

    平和賞
    南部アフリカの人達と接するとき、白人の支配とアパルトヘイト(オランダ語で分離、隔離)の歴史を忘れることはできない。南アフリカは1488年、ポルトガルのバーソロミュー・ディアスが喜望峰を、1497年には同じポルトガルのバスコ・ダ・ガマがナタールを発見した後1652年にオランダ人のヤン・ファン・リーベックがオランダ東インド会社の東洋貿易の中継基地として、ケープタウンに居留地を作っている。その後オランダ人が多く移民し入植地を開拓していったが19世紀の初頭に、喜望峰をインド航路の重要拠点と認識したイギリスがこの地を占領、多くのイギリス人を移民させ南部アフリカを支配した。1833年にイギリス本国で奴隷制度が廃止され植民地である南部アフリカにも適用されると、多くの奴隷労働力に依存してきたオランダからの移民・ボーア人は反発して、新天地を求めてケープ地方から北方へ大移動した。1838年にナタールでズールー族(先住民の一部族)との「血の戦い」の後ナタール共和国を建国するもイギリス軍の追撃に敗れ、さらに内陸に移動。1852年にトランスバール共和国を、1854年にはオレンジ自由国を建国しイギリスに承認させたがオレンジ自由国でダイヤモンド、トランスバール共和国で金鉱が発見されると、イギリスが進出し占領。1880年、1899年にはボーア人が蜂起するが1902年にイギリスの勝利で終結した。イギリスは和平のためにボーア人に自治権を与えて、1910年にトランスバール州、オレンジ自由州、ナタール州、ケープ州からなる南アフリカ連邦を設立した。ボーア人たちは新国家誕生とともに「アフリカーナ」を名乗り民族の権利を主張、有色人種に対して鉱山労働法、原住民土地法といったアパルトヘイトのベースとなった人種差別法を立法化、オランダ語を母体として生まれたアフリカーンス語を英語とならんで公用語に定め、経済はイギリス人、政治はアフリカーナが握るようになった。第二次世界大戦後、アフリカーナはアパルトヘイト政策を策定、世界中の非難を受けながらも頑として受け入れず次第に孤立化していった。1989年にフレデリック・デ・クラーク(1936年生 71歳、アフリカーナ・ボーア人政治家。1993年マンデラとともにノーベル平和賞受賞)が大統領に就任し、ようやく有色人種との対話をすすめた。1990年にはネルソン・マンデラ(1918年生 87歳、1952年南アフリカで白人以外で初の弁護士となる。アパルトヘイト政策に抵抗し1962年ロベン島に投獄され1990年釈放、1993年ノーベル平和賞受賞)が27年間の投獄生活の後に釈放され、1991年にはアパルトヘイトが廃止された。1994年には全人種参加による南アフリカ共和国の総選挙でアフリカ民族会議が勝利し、ネルソン・マンデラ議長が有色人種初の大統領に就任。ネルソン・マンデラは、一期で大統領を退任し、政界からも引退し現在の大統領ターボ・ムベキを後継者とした。大統領の地位に連綿とせず長期独裁政権になることも自ら回避し、国の方向が誤らないように陰から支援するネルソン・マンデラは世界的にも偉大な指導者と言えるだろう。
    アパルトヘイト政策を採り続けたアフリカーナは、アメリカに入植し先住民のネイティブ・アメリカンと戦闘しながら西部を開拓したイギリス人と同様の歴史を持つがアフリカーナには先住民に加えイギリス人というもう一つの敵があった。迫害と戦闘の歴史の中からアフリカーナにとって労働力の確保だけでなく自分達の自治権と安全の確保のために人種隔離政策・アパルトヘイトが必要であったと想像できる。アパルトヘイトの廃止により白人の有色人種への差別意識が改善されたのかどうかは疑問だが、有色人種の指導者が国のリーダーとなって大多数の国民である有色人種のための政治を行うようになったことは大きな前進と言えるだろう。
     長い期間の人種差別に苦しみ現在も経済問題やHIV感染者問題に苦しむ南部アフリカだが、写真をお願いした人達は一様に明るい笑顔で応じてくれた。豊かな自然や動物を大切にする南部アフリカの人達が今以上に幸せになるように一人一人の明るい笑顔に期待したい。
    (写真はジンバブエの高校生)
    =南部アフリカの旅 完=


    【旅行時期】2005/08/31~2005/09/07
    【エリア】南アフリカ
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】さすらいおじさん