アジア競技大会 1962年に関する質問

アジア競技大会  1962年 プロ野球 : 今のような応援はいつ頃から?

メジャーリーグを見ていて気が付いたのですが、日本のように鳴り物や太鼓を使ったり、あるいは全員が同じような掛け声を合唱したりするような応援は、アメリカではやっていません。メジャーリーグから日本の球団に入った選手は皆驚くと聞きます

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アジア競技大会 1962年に関する質問

アジア競技大会  1962年 日本代表の川淵キャプテンって、いったい何者なんですか?

日本代表の川淵キャプテンって、いったい何者なんですか?

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カテゴリ:スポーツ、アウトドア、車>スポーツ>サッカー

アジア競技大会 1962年旅行記

1962年のパリだより【837】マッシフ・サントラルを南北に縦断する(by ソフィさん)

アジア競技大会  1962年

1962年3月18日(日)

昨夜遅くパリ・リヨン駅を出たランジャック行きの夜行列車は、マッシフ・サントラル(中央高地)に向け、ひたすらに南下している。

いつもならば、南フランスに行くには、パリ→リヨン→マルセイユの経路を通るのだが、今回クレルモンフラン経由を選んだのは、今までに見ていない新しい地域が見たいからだった。

列車は、フォンテーヌブロー辺りからリヨン方面行きの線路より分岐して、ロワール川の上流を進むようだ。


どこからか、ぐっすり寝てしまった。

見逃すまいと思っていたクレルモン・フェランも、目が覚めたら通り過ぎていた。

この街は、ギド・ミシュラン(ミシュランガイド)を生んだ、ミシュランタイヤの発祥の地である。


目が覚めたとき、列車はマッシフ・サントラルの真ん中を通り過ぎつつあった。

山また山、岩がごろごろしていて、あまり大きい木は無い。

所どころ、日本を思い出すような、段々畑。

私のしばらく住んでいた岩手県の、北上高地に似た景色である。


なだらかな起伏の山が連なって、その間に深い谷が刻まれている。

こんなところに住んでいる人は、さぞ厳しい環境を生き抜いているのだろう。

終点のランジャックは、そのような山に囲まれた、こじんまりした街だった。


ここでニーム行きの、可愛いディーゼルカーに乗り換える。

山が深くなるにつれて、気温も下がって来たようだ。

粉雪がちらつき、川も凍っているように見える。

セヴェンヌ山脈を、横切っているのだろう。


やがて谷が開け始め、見る見る南国の風を感じる風景が展開する。

その変化は、まさに劇的だ。

そして光豊かな国、プロヴァンス。

ディーゼルカーの終点ニームに着いたのは、正午過ぎだった。


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  • (片瀬貴文 79歳)

    【旅行時期】1962/03/18~1962/03/18
    【エリア】クレルモンフェラン
    【テーマ】鉄道・乗物
    【投稿者】ソフィ

    1962年のパリだより【836】紳士風の帽子にちょっと照れながら旅に出る(by ソフィさん)

    アジア競技大会  1962年

    1962年3月17日(土)

    午後は、久しぶりにパリの中心部に買物に出かけた。

    パリには百貨店が少なくないのだが、総じて東京や大阪などのものより小型で、品揃えも少ない。

    しかしパリは、世界における百貨店の発祥の地とされている。


    初めて世界に(パリに)誕生した百貨店は、「オー・ボンマルシェ」とされる。

    百貨店の前身は、「マガザン・ド・ヌーボーテ(新しい流行の諸々を売る店)」だった。

    それが次第に品揃えを増やし、大型化していって、「グランマガザン(百貨店=直訳すれば大型店)」に進化した。

    「オー・ボンマルシェ」の発足は1852年だが、「グランマガザン」へと進化したのは、1869年とされている。


    そのころ、夫は外で働き、妻は職業を持たずに家庭を守ると言う、家庭での男女の分業パターンが生まれた。

    それまでは、「夫も妻も働かない」貴族階級と、「夫も妻も働く」庶民階級の、二つのパターンしかなかったらしい。

    このように生まれた「専業主婦」は、新たな社交の場を求めており、百貨店の大きな発展理由は、その場を与えたことと推察する。


    最初に行ったのは、「バザール・ド・ロテル・ド・ヴィル(通称BHV)」だった。

    ここで59フラン(4,250円)の靴と、5.5フラン(400円)で毛糸編みの膝まである靴下を買ったが、もう一つ買いたかったものとして、気に入った帽子が見つからない。

    そこで「サマリテーヌ」に行き、さらに「グラン・マガザン・ルーブル」まで長い道を歩いて、ついに41フラン(3,000円)で、気に入ったものを見つける。

    これをかぶれば急に紳士になった気分になり、やや照れくさいが、明日からの旅にはピッタリと思う。


    夜23時10分パリ・リヨン駅を出る、ランジャック行きの夜行列車に乗る。

    明朝終点で乗換え、明日の正午ごろ南仏のニームに着く予定である。


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  • (片瀬貴文 79歳)

    【旅行時期】1962/03/17~1962/03/17
    【エリア】パリ
    【テーマ】ショッピング
    【投稿者】ソフィ

    御殿場線の歴史的痕跡を探す ~國府津-山北間編 明治領歌【建造中】~(by 横浜臨海公園さん)

    アジア競技大会  1962年
    現在の御殿場線(ごてんばせん)に相当する区間は明治22年(1889年)2月1日に開通以来、昭和9年(1934年)11月30日24時までは東海道本線を形成する路線の一部でした。

    然るに、件の路線は、國府津-御殿場駅間は酒匂川流域、御殿場-沼津駅間は黄瀬川流域に沿いに建設され、殊に、山北-御殿場-裾野駅間は25‰の急勾配と急曲線とが混在する区間であり、更に、路盤工事中より、度々自然災害の発生に拠り不通になる為に、やがて此の区間は東海道本線に於ける輸送上の最大の隘路と化し抜本的改良を講ずる必要に迫られます。

    此の為、鐵道院は急勾配が無く自然災害を受け難い熱海経由の路線建設に着手します。

    然し、此の為には熱海-三島間の丹那盆地下に長大隧道の建設を必要とし、当初鐵道院は隧道建設工事工期を5年と計画し工事に着工したものの、事前の地質調査など存在しない時代とは申せ実際には想像を絶する難工事の連続に拠り、予定を大幅に超過の16年もの歳月を要し完成した為に鉄道省の計画全体に重大な齟齬を来します。

    然して、難工事の末に丹那隧道が貫通し、熱海線國府津-熱海駅間の延長と言ふ形態で熱海-沼津駅が開通し昭和9年(1934年)12月1日0時を期し熱海線全線開通と共に東海道本線に編入されます。

    当日は、『名士列車』と称され上流特権階級専用とされた東京発神戸行1、2等普通急行第17列車を以ってトリを飾るが如く最後の御殿場経由の優等列車として運転され、次いで、東京駅出発する神戸行2、3等普通急行第19列車が熱海経由の一番列車となり、大船駅出発後、次の停車駅たる沼津駅まで途中無停車ながら熱海駅通過時には熱海湾に盛大に花火が打ち上げられホームや駅構内に、はち切れんばかりの人々が集まり歓呼の声と万歳三唱が響く内、列車は丹那隧道に突入して行ったと当時の記録に残されてます。

    然し、物事には栄枯衰退が伴うが如く、12月1日0時を以って御殿場経由区間は新たに『御殿場線』と言ふ独立路線に格下られ存続する事になります。

    然れど、昔の本線たる格式は失せても風格は残り全線複線で駅構内も広く長編成対応の為にホームが長い等々、旧東海道本線たる痕跡を濃厚に残す存在でした。

    昭和16年(1941年)12月8日、帝國海軍航空隊に拠るハワイ真珠湾攻撃を以って大東亜戦争が勃発しましたが、戦争が苛烈さを増すに従い資材不足が深刻な状況となり、当時の監督官庁たる運輸通信省をアゴで使う陸軍省兵備局は国内の不要不急路線選定を行い、御殿場線全線、参宮線、関西本線奈良-王寺駅間の単線化を決定し運輸通信省に命令を発します。

    御殿場線から撤去した橋梁やレール等は折から帝國海軍から建設を強く要請されていた横須賀線横須賀-久里浜駅間や樽見線建設に廻され、更に、余剰50キロレールは品鶴線や高島貨物線の重軌条化に転用され代わりに代替品の37キロレールが御殿場線に転用された状態で終戦を迎えます。

    戦後、関西本線で単線化された区間は昭和37年(1962年)までに複線に戻されましたが、御殿場線や参宮線は一部区間たりとも複線に戻される事は無くレールが剥された路盤跡も虚しく残りました。

    また、御殿場線が未だ東海道本線だった時代、山北駅で登り勾配を登攀する為に、國府津駅30秒停車中に列車後部に補機を連結する特別急行燕号を除く全ての下り列車が列車後部に補機を連結する為に停車を余儀無くされ、当時山北駅で販売し乗客が争って購入したとされ駅弁の白眉とも称された『鮎の姿寿司』も存在していましたが、昭和14年(1939年)に販売を中止し戦後もその姿を見る事は叶いませんでした。

    現在の御殿場線は純然たる通勤通学主体のローカル線に変貌を遂げています。


    表紙は御殿場線上大井-相模金子間風景

  • http://www.gotembasen.net/

  • 【旅行時期】2010/04/09~2010/04/09
    【エリア】秦野・松田・足柄
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】横浜臨海公園

    1962年のパリだより【835】パリ生活にも生き生きとしたリズムが(by ソフィさん)

    アジア競技大会  1962年
    1962年3月17日(土)

    来週はヘビーなスケジュールが待っているので、今日一日ゆっくり休養して体のコンディションを整えたい。

    そう考えているのだが、いったん目が覚めたらベッドにじっとしておられない。

    まあぼんやり寝ているより、身体には良いだろう。


    久々にTさんを誘い、イギリス館で朝食。

    近頃彼の眼は澄んでいて、話をすれば心地よい魂の響きが伝わってくる。

    ドイツ女性との恋愛が、快調に進んでいるらしい。


    そして出会うたびに、しばらくは、彼女への賛辞を聞かねばならない。

    「彼女は気立てがよく、朗らかで、良く気がきく」と。

    しかし慣れの人徳もあって、このような話は気持がいいものだ。


    彼女の一家は、もともと東ドイツに住んでいた。

    しかし何かの事情で官憲に睨まれる羽目となり、一家そろって西ドイツに脱出しようとする。

    その脱出行たるや、また凄まじい。

    同時に行動すれば見つかり易いので、一人ひとり別に動き、命がけでベルリンの壁を乗り越えるのである。

    そして結局は成功して、今シュテュッツガルトに住むようになった。


    部屋に戻って、ノルマンディーでお世話になったフォンタンさんに、九谷焼の杯を添えて、礼状を書く。

    それから、洗濯、掃除、室内の整理。

    旅行の間に何が起こるか分からないので、身辺を綺麗に整頓しておかなければならない。


    ピエール・ロティを愛好するマンブルさんから、手紙を受け取った。

    ロティの古い写真を同封してくれ、復活祭にはブルターニュの別荘に招待したいと書いてある。

    もちろん万難を排して、出かけてゆきたい。


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  • (片瀬貴文 79歳)

    【旅行時期】1962/03/17~1962/03/17
    【エリア】パリ
    【テーマ】プチ留学・カルチャー体験
    【投稿者】ソフィ

    1962年のパリだより【834】春の旅は心が浮き立つ(by ソフィさん)

    アジア競技大会  1962年

    1962年3月15日(木)

    ノルマンディ旅行から帰って部屋にたどり着いたのは深更だったが、A君のことが気がかりになって、彼の部屋218号のドアをノックする。

    この人は家族を日本に残しフランスにやって来たばかりなので、最近ホームシックの真っ最中。

    ときどき訪問して、話し相手になってあげなければならない。


    彼は目下パリの自動車学校に通って、車の運転免許を習得中とか。

    ここでは300フラン(2万2千円)程度で免許が取れ、国際的に通用するばかりか、終身有効らしい。

    日本に持って帰っても、免許試験が大幅に免除されると言う。


    面白いのは練習コースがなく、始めから街に出て練習することで、試験も路上でやる。

    試験の車も受験者が用意しなければならず、コースも車もそろえない試験は、安くなるはずだ。


    明日夜出発し、往復夜行に乗って、足かけ9日間の旅に出る。

    フランス国鉄が用意してくれた視察日程の前後に自分の自由旅行を加え、南仏プロバンスから、コートダジュール、そしてシャモニーを回ってくる。

    春の旅は楽しみで、心が浮き立つのを感じる。


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  • (片瀬貴文 79歳)

    【旅行時期】1962/03/15~1962/03/15
    【エリア】パリ
    【テーマ】留学・ホームステイ
    【投稿者】ソフィ